我が家では
一人であっても、
誰とであっても、
食事をするときには丁寧に手を合わせ、
「頂きます」と感謝をすることは、
自主的に行う無言の約束となっています。

目の前の食べ物は
野菜の切れ端であれ、
高級なフルコースであれ、
「食べる」ことは全て
自分の命を満たすために、
他者の命の時間を頂いているという自覚。

子どもたちが成長し自立へ、
それぞれの価値観を発揮し
自分の人生を満喫する日々となりました。

日常の中で、時折届く便りに、
その子なりの命との真剣な向き合い方に、
成長と喜びを受け取る日々です。

道元による禅宗では「典座教訓(てんぞきょうくん)」という教えがあり、生き物の命をいただく料理こそ、修行そのものであると教えられていることを知りました。

子どもたちの自炊風景やコスパ料理写真や、
罠にかかる野生の鹿を捌く姿さえも、
全てが教え(命を磨く行)だと感じています。

写真のはしに見える擦り傷や切り傷、真摯な視線や行動に、命を頂くことへの素直な感謝を感じ取れることにジワリと暖かい感動を覚えてしまいます。

何気に口に運ぶには、あまりにも沢山の犠牲を払っている飽食の時代にあって、食材それぞれが命の塊であると改めて認識したとき、初めて命を「頂く」ことの本質が見えてくるのではないかと、思うのです。
繋がる命に感謝をこめて。

感謝は外観で判断するのではなく、
双方同じ命を頂いて成り立っています。

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